当クラブの例会場「椿山荘」の庭園にある三重の塔。
 この地域は、昔から椿の自生する景勝の地であり「つばきやま」と呼ばれていた。  明治の元勲
山形有朋 が、明治11年に私財を投じて入手し、 「椿山荘」と命名した。  その後、関西財界の藤田平太郎が譲り受け、庭園を整備したが、戦火に遭い荒廃した。  戦後、藤田観光が復旧を行い、往時をしのぐ名園「椿山荘」を甦らした。

真言宗豊山派大本山護国寺
 
護国寺は、天和元年(1681)2月、五代将軍 徳川綱吉 が、生母 「桂昌院」 の発願により開山した。
「神齢山
悉地院護国寺」と称し、寺領300石を賜る。
国、都、区の指定文化財が26件ある。

旧東京医学校
明治9年(1876年)に建築されたこの建物は、 東京大学に関係する建造物では、現存する 最古の建物で、重要文化財に指定されている。 東京大学付属植物園(小石川植物園)の中に ある。

エリア内の一部紹介

沢蔵司稲荷・慈眼院
僅か3年で浄土宗の奥義を極めた沢蔵司という修行僧がいた。
元和6年(1620年)学寮長の夢枕に立ち
  
「千代田城内の稲荷大明神である。浄土宗の勉学がかなったので、伝通院を守護し恩に報いよう」    とお告げがあり、境内に「沢蔵司稲荷」を祭り、慈眼院を別当寺とした。

「小石川後楽園」は、江戸時代初期、寛永6年(1629)に 水戸徳川家の祖である頼房が中屋敷として造った。  二代藩主光圀の代に完成した庭園。  庭園の様式は、池を中心にした「回遊式築山泉水庭」 中国の「岳陽楼記」の「先憂後楽」から命名された。
 
当クラブ バナーの「藤の花」は、後楽園の象徴。
 
東京後楽ロータリークラブ(当クラブがスポンサー)も ここから命名。

「六義園」は、五代将軍徳川綱吉の信任が厚かった 川越藩主柳沢吉保が、元禄15年(1702)築園した。
 庭園の様式は、和歌の趣味を基調とし、池を中心に した
「回遊式築山泉水庭」
 
明治になり、岩崎弥太郎の別邸となり、その後、 東京都に寄付された。

「伝通院」の名は、慶長7年(1602年) 家康公の生母「於大の方」の法名 「傳通院殿」からで、菩提寺である。