小石川ロータリークラブとは
小石川ロータリークラブとは東京北ロータリークラブ がスポンサーとなり文京区のうち白山通りの西北側、
旧小石川地区をエリアとして、創立されたクラブになります。小石川には歴史的な遺産が多く有り、
文化の薫り高い地域と言われています。当クラブの会員様には出版、印刷、商業、美術館、建設、芸能等々幅広い職業に従事しており、
留学生の受け入れ・少年野球、「図書館の学校」後援などの活動を1970年4月創立以来続けております。
他にも残紙の贈呈や書籍の贈呈など様々の事業を継続しています。ゴルフ会、スキー会、囲碁会、
食事会などの自由参加の会があり公私共に交流を深めています。 創立当時からの「親睦を深める楽しいクラブ」の
伝統を受け継いで現在も活発に活動しています。
会長メッセージ
東京小石川ロータリークラブの特徴
入会金 | 文京区の内、白山通り以西の区域 |
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創立 | 1970年4月2日 |
承認 | 1970年4月21日 |
認証証伝達式 | 1970年6月20日 |
スポンサー | 東京北ロータリークラブ |
例会日 | 毎週金曜日 12時30分~13時30分 |
例会場 |
ホテル椿山荘東京 東京都文京区関口2-10-8 TEL 03-3943-1111 |
事務所 |
東京都文京区関口2-10-8 TEL 03-3941-3385・ e-mail:tkikrc@mint.ocn.ne.jp |
会員総数 | 33名(2024年7月1日現在) 正会員33名 |
創立
1970.4.21 | 国際ロータリー加盟承認 29名のチャーターメンバー 初代会長野間省一 |
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1970.6.20 | 認証証伝達式 東京プリンスホテル |
1980.4 | 創立10周年記念誌発行。記念講演 元南極地域観測隊村山雅美氏「極地の人」 客演ダークダックス。 |
1990.4 | 創立20周年記念誌発行。記念講演 菊竹清訓会員の「日本型住環境の未来像」。 |
1999.6 | 創立30周年記念事業として、スポンサークラブとなり「東京後楽ロータリークラブ」を創立。 *テリトリーは同じとした。 *チャーターメンバー45名全員が非会員。 |
2000.6 | 「東京後楽ロータリークラブ」認証証伝達式 |
2009.7 | クラブ創立40周年記念事業 を今後3年間に行うこととし実行委員会をつくりスタートした。 |
2010.12 | 記念事業の「文京芸術祭」を文京区シビックホールで盛大に挙行。 |
2011.10 | 文京区内の小学校に サラウンドシステムを贈呈。記念誌を発行。 |
会員様の声
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小石川ロータリークラブでお世話した米山奨学生の数はクラブ創立から34名になります。最初は創立翌年の1971年、野生司義光会員(当地区パストガバナー)の御父上である野生司義章氏と大久保薫氏がカウンセラーとなった台湾からの留学生洗宏君でした。
その後韓国13人、台湾9人、中国4人、 アメリカ4人、ドイツ、インドネシア、 ベトナム、スウェーデン1名ずつと多くの国の学生をお預かりしました。奨学生は例会に来ても最初はクラブ活動の新入生のように超緊張状態でどんどん無口になるようですが、ぜひ、私達から声をかけ「話しかけ運動」を展開しましょう。
また、奨学生は毎年、静岡県にある米山記念館訪問と近くの柿田川での奉仕活動を行ってきました。「ボーダーを超えたいろいろな国から来た人たちと同じ目的で汗を流す経験が素晴らしかった」と耳にします。世界平和とはこのようなことから少しずつ実現してゆくのだ、と強く感じました。
皆さんも文化の異なる若者と接していろいろ感じてみませんか?
髙橋義一 歯科医
2020-21年地区米山奨学委員会委員長
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私が小石川ロータリークラブに入会させていただいたのは2014年12月で、仕事の関係でなかなか皆出席というわけにもいかず、ロータリークラブの活動について十分に勉強もできず、しばらくの間は「ひょっとしてこれは毎週1回昼食をともにするだけの老人クラブではないか。 自分のビジネスの役にも立たないし、しばらくしたら辞めようか」とロータリーの活動を懐疑的に見ていました。ところが、転機になったのは2018年にタイからやってきた青少年交換留学生ファーちゃんを我が家で2か月ほどお引き受けしてからです。彼女は元々日本好きでしたが、留学後さらに日本を好きになって帰国していきました。
その証拠に帰国後1年足らずで日本を訪問、我が家にも立ち寄ってくれました。世界に日本のファンを増やす。そして仲良くなる。国際交流という点で意義のあることだと強く感じた次第です。
植田統 弁護士
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私がロータリーに加入したきっかけは、亡き岡本貫首のとの出会いからです。私の初めての選挙の時、講談社の向かい側で駅頭をしていた時、毎朝前を通るお年寄りの帽子が風び、その帽子を拾ったご縁で交流が始まりました。
その方が護国寺の岡本貫首です。ある日、貫首からご自身が所属しているロータリークラブの名村会員を紹介され「おいしいお昼を食べにおいで、面白い人達もいるよ」とお誘いを受け椿山荘にいきました。食事が出来るならと参加をし、そこで「我らの生業」の歌を聞き、小学生の時のガールスカウト活動を思い出しました。
「奉仕」という言葉を忘れかけていたことを反省しました。当日は「こども宅食プロジェクト」の話で、お金を寄付するだけでなく、会員の皆さんと障害者のお子さんでお米一袋一袋詰め送ったそうです。その時「ロータリーって?」、「奉仕?」と食事に行っただけだったのに、たった1時間半で「こころ」が動かされ加入することにしました。
海老澤敬子 区議会議員