12月8日卓話「江戸の坂の正体」 山野 勝氏

2023.12.15

    日本坂道学会 会長 日本坂道研究家 山野 勝氏

日本坂道学会は会長の山野氏と副会長のタモリさんのお二人で作られた会。

広島県に生まれ、その後、高校1年生まで福岡県、高校2年生から東京都に住み、東京を知りたい一心で地図を片手に歩いていた時、たまたま坂にある標柱に「坂道の名前、由来」が書かれている面白さに夢中になったのがきっかけだそうです。

東京には約3000の坂道がありその中で名前のある坂道は640そのうち約500坂は江戸時代に付けられた名前がそのまま残っている。

なぜ、坂道に名前が付いたか…それは江戸の町づくりに関係する。地図はあるが地名がない大名や旗本の武家屋敷の目印のひとつとしていた。

千代田区にある「紀尾井坂」は州徳川、張徳川、彦根伊の三つのお屋敷の文字を取って付けた。のちに町名となり、坂道の名前から町名になった珍しい例だそうです。

坂道の名前をつけるときの法則、山野氏が坂道を分類した結果、富士山が見える坂は富士見坂、海が見える坂は潮見坂、お稲荷さんがある時は稲荷坂…単純な付け方が多く、特に面白い坂道は九段下近くにある「二合半坂(にごうはんざか)」の由来、一合ではなく二合半(こなから)の酒を飲んだくらい酔う坂、別名「こなからざか」ともいうそうです。または坂の頂上から富士山と日光山が見え、富士山を十合、日光山は富士山の五合にあたり、日光山が半分見えたので五合の半分で二合半と眺望から付けられた名前でもあるそうです。

これから坂道を歩くとき視点が変わる卓話でした。